あなたでしたら私に命じてください(勇気ある積極性)  
- マタイ14:28-33 -

2024年2月11日 SRC

聖書

マタイ14章22-33節

22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
23 群集を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。
28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
29 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ、助けてください」と言った。
31 そこでイエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った

序  論

  • 羽鳥明先生の伝道用小冊子の中に「おかしくはないか?」と言う短いエッセイからの引用(以下記憶からの要約):人が誰かに親切にしていると、こびへつらっていると言い、自分がしていると優しい性格だという。人が誰かに寛容にしていると、優柔不断だと言い、自分がしていると心が広いからという。
  • 人間とは勝手なもので、人を見るときも偏見に満ちている。
  • その意味で、皆さんは、イエス様の一番弟子とも言える「ペテロ」についてどう思っているか? 聖書に出て来る様々な短いエピソードからも色々言える:おっちょこちょい、出しゃばり、せっかち、熱心、献身的、指導力のある人物。中には互いに相反するものも・・・。
  • 彼の生涯で一番大きな躓きとなったのは、イエス様の十字架前夜、3度「イエス様を知らない」と拒絶したことであったであろう。彼の評判は地に落ちた。口だけの臆病者。卑怯者。嘘つき。等々。
  • 主のご復活後も、誰もがペテロの弟子として、特にリーダーとしての人生は終わったと思った。
  • しかし、ご存じのように、イエス様は、そのペテロを完全に赦され、受け入れられた。
  • しかし、にも拘らず、そんなぺテロを、イエス様も、他の弟子たちも、あらゆる偏見を乗り越えて、不思議なように愛された。憎めなかった。
  • 彼より優秀・有能な人、伝道で成績を上げた人はいた。パウロやアポロがその人だったかもしれない。彼より霊的に深い洞察をもった人もいた。 ヨハネ? 彼より人格者もいたであろう。バルナバ?
  • それでは、ペテロの魅力は何であったか? 

本   論

  1. 長い間、わたしはここで、ペテロが水の上を歩かせて欲しいと願った動機について誤解していた。
    1. 生来の目立ちたがり、見栄や虚栄からだ、と思い込んでいた。
    2. あるいは、空気を読めない、衝動的なリアクションから、
    3. いずれにしても、ペテロらしい、微笑ましいエピソード程度に思っていた。
  2. しかし、今回改めてこの個所を味わい、ここにこそ、人間的には、批判を受けながらも、神様がペテロに下さった最大の特色「勇気ある積極性」があったことを示された。
    1. 人はそれを「出しゃばり」「ええカッコしい」と冷笑するかもしれない。
    2. 確かに、そういう面が見え隠れしたこともあったであろう。
    3. しかし、同時に、それは神様からのペテロへの賜物であった。
    4. それ故、神さまは、これを賜物としてきよめ、用いたいと願っておられたのである。
  3. この「勇気ある積極性」こそは、実に、聖霊に満たされた人の雛形・モデルであり、また賜物であった。 
    1. 他の弟子たちは、イエスさまのいない舟の中で命の危険と戦い、突然のイエス様の顕現により救われたことで安心し満足して、チャンチャンの手締めで終わろうとしていた。受動的・消極的
    2. しかし、ペテロは違っていた。まだ嵐の終わっていない水の上に自らの命の危険を曝し、信仰の深みを経験しようとしたのである。エエカッコシイにしても、危険過ぎる。
    3. 彼の動機は何か? やっぱり目立ちたがり? NO イエス様は、そんな茶番には付き合わない。「勇気ある積極性」であった。この出来事を、ただ自分の命が守られたという消極的なもので終わらせたくなかった。この与えられたチャンスを生かそうとしたのである。
    4. 聖霊に満たされた神の人は、常に現状維持の向こう側に貪欲なヴィジョンを見据えている。
      • 使徒2:17,18
      • 詩篇81:10(後半)
      • インド宣教の父、William Carey
        「神に大いなることを期待せよ。神のためにおおいなることを企てよ」(2024年、個人的にも、教会としても、これを実行したい)
    5. ここで忘れてならないことは、そもそもクリスチャンとして生きること自体大きなこと、人間にはできない、不可能事(ラクダが針の孔を通るより難しい)、水の上を歩くのと同じ、信仰の奇跡
      • マタイ19:24-26
      • 自分の力でできると思っているのは、レベル・ダウンしている、妥協しているから。このように、私たちが救われて、今クリスチャンとして、生きていること自体、水の上を歩く奇跡。
  1. 「勇気ある積極性」は、キリストを唯一絶対の神として信頼することから始まる。
    1. イエス様は嵐の中で恐れている弟子たちにご自身を顕して言われた。「私だ」と。
    2. ペテロは、それに対し「もしあなたでしたら」と言った。それは、不確定な意味を表す「もし、あなたなら」ではない。寧ろ、確定的事実を表す「あなたなので」の意味である。Mt16:16
    3. 即ち、ペテロは「私の目の前にいてくださる方があなたなので」の信仰を表しているのである。
    4. 先週学んだように、この「わたし」「あなた」こそ、旧約聖書で「在って在る者、ヤーウェー」としてご自身を唯一絶対の創造者なる神として顕わしたお方である(出エジプト3:14)
    5. このお方との信頼関係が私たちから「恐れ」を除き、勇気を与え、積極的な行動へと導く。
  2. 「勇気ある積極性」は、神のみ旨に服従する中で発揮される。
    1. ペテロは、いきなり舟から出て、荒れた波の水の上を歩き始めたのではない。イエス様に「もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてくるように命じて下さい。」と伺いを立て、イエス様から「来なさい」と言う命令を頂いて後に歩き始めたのである。我がまま、気まぐれではない。
    2. 即ち、彼の「勇気ある積極性」はペテロの服従の中でこそ、その力を発揮したのである。
    3. 千葉県利根川での失敗談が教えること
  3. 「勇気ある積極性」には、「信仰の継続」が必須である。
    1. しかし、ペテロはこの点で失敗した。聖書は言う。「・・・」(マタイ14:29-30) 
    2. 失敗の原因は「強風を見て怖くなり」とあるように、目と耳と肌、体全体で感じる風の強さに恐れを感じたのである。
    3. その中心は「目」であった。目をキリストからは離した瞬間何もかも失った。喜びも、確信も、希望も、・・・。
    4. 信仰とは、キリストの中に、すべてを見出すことであり、すべての事の中に、キリストを見出すことである。キリスト以外、眼中に無くなるのである。
  4. 「勇気ある積極性」には、「信仰の継続」が必須である。
    1. しかし、ペテロはこの点で失敗した。聖書は言う。「・・・」(マタイ14:29-30) 
      • 原因は「強風を見て怖くなり」とあるように、「キリスト」以外のものに目をとられたことであった。
      • 歩き始めた時は、「私だ」「あなたなら」と二人は一体であった。
      • しかし、そこに、キリスト以外のものが入り込んできた。目を通し、耳を通し、肌を通し・・・、それらが、ペテロを、信仰の中心・中核であるキリストから離した。
      • ペテロはキリストを失った瞬間、すべてを失った。喜びも、確信も、希望も。
      • なぜなら信仰とは、キリストの中に、すべてを見出すことであり、すべての事の中に、キリストを見出すことであるから。キリスト以外、眼中に無くなるのである。
    2. しかし、感謝すべきことは、即座の回復と継続が可能である。
      • ペテロ側:正直で、速やかな告白と救助の希求(30節)
      • イエス様:速やかな救助の供給と励まし・悔い改めへの導き(31節)
      • 転ばないで「あんよ」を学ぶ子はいない。これを繰り返して成長する。

結   論

  • 失敗を恐れてはならない。
  • 人の性格としてではなく、聖霊に満たされた器の特色として、『勇気ある積極性』を持つ者となりたい。
  • 暗黒の嵐の中で、恐れに包まれる中で、何度失敗しても。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。