神にはできる!
- マタイ19章16-26節 -

2024年1月14日 SRC

聖書

マタイ19章16-26節

16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」18 彼は「どの戒めですか」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
21 イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。
24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」

序  論

  • 新しい年が始まって3-4日たった時、井川先生ご夫妻のお宅で、家内を含めて4人で、2024年を展望し、今後のことを語り合い、祈るときをもった。そして、その会合を正に締め括ろうとするとき、井川夫人から、SRCの2024年の年間聖句についての提案があった。そこにいた者全員が、それに賛成し、礼拝時に皆様に発表しようと言うことになった。
  • そのお言葉が、先週日曜日の礼拝メッセージで井川先生が中心的に開いてくださった上記マタイ19章からのお言葉である。即ち、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」である。
  • 私たちは、今年、この神様のお言葉が、私たちの中で、また、私たちを通して、隣人の中に、ひいては、世界の人々の間に実現されていくことを信仰の目標とし、信仰の戦いを進めていきたいと祈っている。
  • 井川先生は先週、43年前の由美子夫人の救いに始まった恵みの御業が、郷里の佐野の地で、ノア外語学院・SRCを通して大きな主の栄光を拝するにいたったことの証しを中心にお話しくださった。
  • 今日私は、イエス様がこのお言葉を語られる背景となった「青年」との関連からこのお言葉を味わいたい。
  • そのため、 まず、そもそも、彼は一体どんな人物であったのかを見たい。彼は(共観福音書を纏める):
  1. 若い・青年(マタイ19:20)であった:
    1. このことは、彼のもっている「若さゆえ」の、前途洋々たる将来・未来を意味した。
    2. 昨今の医学界・美容界・健康業界の発展により、現代社会においても「若さ」の維持は、一つの大きな憧れ・財産である。彼は、それを持っていた。
  2. 役人(ルカ18:18):
    1. イスラエルの「政教一体」の社会組織から言って、恐らく、サンヒドリンという国家の最高議会のメンバーであったと思われる。
    2. このことは、イスラエル社会において、最も高い地位と名誉・家柄を意味していた。
  3. 金持ち
    1. これら上述の状況から言っても、当然、彼は資産家・財産家であった。
  4. 宗教的、人格的に誠実・実直、いわゆる真面目
    1. これだけの社会的ステータスを持つ人物が、「大勢の群衆」(マタイ19:2)の前で、「一人」、仲間との話の乗りからではなく、イエス様に近づいた求道の姿にそれを見る。また、
    2. この点については、答えに問題はあったにしても、イエス様の「もし、(永遠の)いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」即ち、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と言うチャレンジに、「そのようなことはみな守っております。」と応答できたこと。
  5. これが、外側から見た彼の姿であった。
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これらのことを背景に、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」を味わう。

本   論

  1. 聖書は、ここで、「私たち人間は、自分の力で、自分を救う・幸せにすることができない」と教える。
    1. バークレー:「彼が理解していた永遠の命とは、幸福、満足、神との平和であった」
    2. この青年は「幸せになる」こと、充足・平安を求めていた。
    3. 世界中の人々も、同様に皆、「幸せになる」こと、「永遠の命」「魂の救い」を求めている。
  2. しかし、主は言われる。「それは人にはできない」と。
    1. この青年が、その良い例である。彼も、自分を幸せにできなかった。
    2. 皆が羨むほどに幸せになる条件を満たして「幸せレース」のトップを走っていたはずなのに。
    3. 自分を救えなかった。だから、イエス様の所に来た。大衆の前で。プライドも捨てて。
    4. 地位も、名誉も、お金も、律法を守って実直に生きる道も、何も、彼に、充足も平安もくれなかった。金は、私たちに幸せそうに見えるすべてを与えるが、ただ一つ幸せそのものをくれない。
  3. もう一つ人間にできないことがある。それは、「人は、自分を罪・自己中心から救うことができない」ことである。
    1. 19章21-22節を見たい:
      21 イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
    2. ここで、問題は何であったのか?
      1. クリスチャンになるには、全財産放棄が必要と言う意味ではない。
      2. 人間はみな罪びとである。その本質は、みな同じく「的外れ」「自己中心」「神と人への愛の欠如」である。
      3. しかし、罪の現れは皆違う。ある人は金で躓く、ある人は異性問題で、ある人は権力や地位の問題で、ある人は怒りや品格の問題で罪を犯す。
      4. この青年の場合、それは金銭への以上なまでの執着であった。
        • それは、神様と隣人の存在を忘れさせるほどであった。
        • 金持ちなのに、貧しい人へ「びた一文」与えようとしない。これが彼の場合であった。
      5. イエス様は、他の人にこのような要求をしたことはなかった。現れは皆違うからである。
      6. しかし、その表れが何であろうと、どんな聖人であろうと、誰も自分をその自己中心、罪に打ち勝つことはできない。と聖書は言う。
        • 聖人の鑑のような「孔子」も自らのこととして、しかもその晩年に言った。「不義を知りつつ改めること能わず、義を知りて移ること能わず。これ我が憂いなり」と。
        • パウロ:ローマ7:22-24
    3. 主は言われる。

      「それは人にはできない」と。ここまで、イエス様の言われた御ことばの前半、「それは人にはできないことです」について味わって来た。
  1. この主の御言葉は、文脈的に、前半の「それ」を受けて、「魂の救い」について神の全能を宣言している。
    1. 即ち、「神様には、どんな罪人をも、どんな絶望的ところからでも、その魂を救うことができる」というのである。神様に救い得ない魂・人はない。
    2. 人生で何が「最高か?!」と言って、「人・心が変えられる」こと以上の素晴らしさはない。
    3. 人生で何が「難しいか?!」と言って、「人心が変えられる」こと以上の難しさはない。
    4. 神様が、世界で一番願っていることは「人心が変えられる・救われる」ことである。
      例:最近、聞いた井上薫先生の証し
    5. Ⅱペテロ3.18
    6. 神様は、すべての人々の「魂の救い」のためにどんなことでもできる・なさる。
  2. 更に「どんなことでもできます」は、神様は「人生のどんなことについてでも」全能であられると言う宣言である。
    1. この神様は、ただに「魂を救う」ために「全能」の力を顕すだけでなく、その救われた魂のために、その全人生のために、「どんなことでもできます・します」と保障し、宣言なさる。
    2. 「どんなことでも」:人生と生活の全面に亘ってである。
    3. このことは、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」と言うイエス様の言葉によく表れている。
      • 普通なら、前半が「それは人にはできないことです」なら、後半は「しかし、神には、それができます。」となる。ところが、「神にはどんなことでもできます。」と言われた。
      • このイエス様の言い回しこそが、イエス様が私たちの全生活を、その全能の力をもって保障して下さると言う宣言であった。
    4. もし、この青年が、イエスの実生活における全能を宣言するこの言葉を理解し、信頼していたら、人生は変わっていたであろう。
  1. 聖書はそれをこ
    1. ルカ23章39-43節「十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスに悪口を言い、『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え』と言った。ところが、もう一人の方が答えて、彼をたしなめて言った。『お前は、神をも恐れないのか。お前も同じ刑罰を受けているではないか。我々は、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことは何もしていないのだ。』 そして言った。『イエス様。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。』 イエス様は、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたは、今日、私

結   論

  • クリスチャンになることは、・・・ 人間的には不可能、人間にはできない:ラクダが針の孔を通る
  • でもOK。人ではなく、神様がする・産むから。受け身I was born. 神は全能の力をもってどんな人をも救ってくださる。
  • そして、神はその全能の力をもって、救いに入れた者たちの実生活をどんな事であっても助けて下さる。
    「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
  • これが、2024年のSRCの年間聖句である。
  • この聖句を信じて、周囲の人々の求道・救いの為に、あきらめずに祈ろう。
  • この聖句を信じて、私たちの人生と生活のあらゆる場面で遭遇する困難な出来事の一つ一つを乗り越え、益々主のすばらしさを経験する者、また教会になりたい。
    With man this is impossible, but with God all things are possible.

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。