それゆえ我らは恐れない

2024年1月28日 SRC

聖書

詩篇46篇

指揮者のために。コラの子たちによる。アラモテに合わせて。歌

1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
2たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ
4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。
7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。
9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上で崇められる。」
11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ

序  論

  • ここ佐野市は、日本・関東三大厄除け大師の一つで有名なところ。私の住んでいる天神町にも、すぐ近くに朝日天満宮と言う神社があり、これら神社仏閣に、今年も沢山の人々が初詣をされた。
  • 数の把握は、中々難しいらしいが、警察庁の発表によると、2009年の全国の初詣参拝者は、総計9,939万人余、およそ1億人とのこと。ほぼ国民全員が参拝していることになる。
  • 参拝者は、一体、何を祈っているのか? 合格祈願、結婚祈願、妊娠・出産、商売繁盛などの積極的な祈願も多いだろう。
  • しかし、同時に、どちらかというと消極的な祈願も多いのではないか? 我が家の台所にも昔、「家内安全無病息災」と書いた守り札があった。
  • これらは、みな背後に、人生に・生活に潜んでいる「恐れ」がベースになっている。即ち、「災いが来ませんように」と言う「恐れ」からの祈りである。
  • 世界中の多くの宗教が「恐れ」をその動機としている。宗教ではないが、ハロウィーンもその良き例。怖い恰好をするのは、行く所がなくさ迷う死者の霊に戻って来て欲しくないと言う「恐れ」からである。
  • 私たちも、一人の人間として、幸せになろうとするなら、「恐れ」に打ち勝たねばならない。
  • 今日の鍵の聖句は、2節冒頭の「それゆえ、われらは恐れない。」であり、メッセージの中心は、「何故恐れないのか?」である。
  • 歴史的背景:Ⅱ列王記18:13 - イザヤ36 紀元前701 アッシリヤのセナケリブ軍
  • この詩は、三つの「セラ」(休止符)で3区分
    1. (1-3):恐れへの勝利宣言と恐れの現実の確認
    2. (4-7):恐れなき人生の秘密(1):ご聖霊の生きた臨在
    3. (8-11):恐れなき人生の秘密(2):自分の業を休む
      *7&11「万軍の主は・・・」

本   論

  1. 2-3、5-6節:
    1. 2-3節:地が変わり、山々が揺れ、海のただ中に移るとも、立ち騒ぎ、泡立つ、揺れ動いて
    2. 5-6節:揺るがない、揺らぐ
  2. しかも、それは、しばしば、突然、予告なく、圧倒的な力をもって、容赦なく襲ってくる。
    1. 今回の能登の大地震。
  3. これらの動揺に勝利するためには、2節冒頭にあるように、誰にも先だって「それ故我らは恐れない」と信仰による勝利宣言を自分と人生と悪魔にすることである。
    1. 1節:神は避けどころになり、力になり、苦しむときの助けになってくださる。まさに、泣く者と共に泣き、喜ぶものと共に喜ぶ神である。
    2. そこにある強き助け: At very present help. 助けにはしばしばスピードを要する。
  1. 4節に出て来る川は、ご聖霊の象徴である。 
    1. エゼキエル47:1-12
    2. ヨハネ7:37-39
  2. 私たちは御霊とともに歩むように勧められている。ガラテヤ 5:25-26
    1. 私たちは御霊とともに歩むとは、御霊とともに生きることである。
    2. 4節の「その豊かな流れ」とは、私たちの毎日の生活の中に流れ込んでくる生きた聖霊のお働きである。
    3. 川の美しさはその流れにある。よどんだ川はごみがたまり腐敗が始まり悪臭を放つ。
    4. この不快な姿が、聖霊の流れがよどみ、止まってしまっている私たちの霊的な姿を表している。
    5. だからエゼキエル47:9は「この川が流れてゆくところはどこででも…あらゆる生物は生きる」という。
    6. 聖霊に満たされたという過去の経験で止まっていてはいけない。毎日の生活と言動の中で聖霊の流れをブロックしたりとどめたりしないようにしよう。
      (テサロニケ第一5:19「御霊を消す」、エペソ4:30「御霊を悲しませる」)
  3. ご聖霊の川が神の宮である私たちの内から流れ出るとき、私たちは揺るがない不動の人生を歩める。
    1. そのことが5節で言われていることである。これが恐れなき生涯の秘密である。
    2. 5節以降「国々」「諸方の王国」「地の果て」「国々の間」などの表現が急に増える。ご聖霊が川のように流れ始めると、神の御業はさながらSNSのような拡散力をもって世界中に広がる。
  1. 「自分の業を休む・止める」、これが8-10節で聖書が言っていることである。即ち、
    1. 神は、「私が戦う。あなたは武器を捨てて、リラックスして私に任せなさい。」と言われる。
    2. 10節の「やめよ」は、「リラックス」しなさいの意味である。
    3. 以下の場合と比較:出エジプト14:13-14、ロマ書12:18、19、マタイ26:52
  2. ヘブル4:10に、「自分の業を止めて、神の安息に入る」という神の祝福が記されている。
    1. 自分の業:自分の願望と計画に固執し、神の御心を求めず、神に従うことを拒否する人は自分の力で生きるしかない。
    2. そのような人生には安息も平安も無く、不安と恐れだけである。
    3. そのような人々に神様は言われる。「やめよ。私を知れ」とおっしゃる。
  3. このことによって、神の栄光が顕される。と
    1. ちょうどギデオンの時のように、人間の弱さが露呈されるとき、神の救いと力が明らかとなる。
    2. ちょうど、それは今年のSRCの標語聖句のように「人にはできないが、神には何でもできないことはない」と、神が「崇められる」のである。
    3. 私たちは、明日何が起こるか分からない不安定・不確定なこの世界に於いて、「恐れなき生涯」を歩むことは不可能である。人にはそれはできない。
    4.  しかし、神には何でもできないことはない。だから、自分の業をやめて、完璧な神の手に委ねる。ここに恐れなき生涯の秘密がある。

結   論

  • 7節、11節で繰り返されている、所謂、イムマヌエルの約束は、マタイ1章からも明らかなように、「イエス」の名が象徴する十字架と復活の事実なしにありえない。
  • 今一度、十字架の前に跪きたい。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。