平和が危機の時代に
- 2019年3月掲載記事 -

この記事は2019年3月にさくら新聞に掲載されたものです。

世界の注目を集めた第二回米朝首脳会談は、合意・共同声明なき幕引きとなった。会談の中心は、言うまでもなく北朝鮮の「完全非核化」であったが、それがとん挫したのである。長い間、世界は核拡散防止を叫び、一昨年はICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受けるなど、核兵器無き世界へと前進しているように見えた。しかし、最近の傾向は、米ロ間での核軍縮条約破棄など、時代の潮流が逆行し始めた感がある。月並みな言い方であるが、平和は皆の願いである。しかし、果たして、武器無き、核兵器無き、戦争無き平和の世界は来るのだろうか? 「平和憲法」「唯一の被爆経験国」として世界に知られる日本の果たすべき役割は何なのか?

昭和20年の終戦以来74年。「時代」も、「昭和」から「平成」へと移り、既に30年が過ぎた。そして、後一ヶ月余で、新天皇の即位と共に新たな年号と時代を迎えようとしている。そのような変遷の中、戦前・戦中を知るいわゆる戦争経験者の数は、当然のことながら日増しに減っている。亡母は、疎開先でパイロットの顔が見えるほど近くに低空飛行して来た米軍の艦載機から機銃掃射を受けた経験を持つ。「生きた心地がしなかった」と言う。戦災経験としては極めて小さなものであろう。しかし、そんな彼女でも「戦争だけはするものではない」といつも語っていた。そのような声が少しづつ消えて行く。

現代社会・世界において、極く一部の例外を除いて、かつての歴史に見られたような侵略的な意味での武力行使を大っぴらに認める人々や国はない。誰でもが戦争無き「パックス・ロマーナ」を願う。しかし、そのような世界の実現のために、一方で一切武器を持つべきではないと言う武装全面反対の立場があり、他方で戦争防止のためには、少なくともその抑止力・制裁力としての軍備が必要であると言う武装賛成派とに分かれる。更にそれら二者の中間的立場として、武力の使用を防衛目的のみに限定する立場がある。これが現在の日本の立場であるが、その具体的解釈と適用の問題が絶えずくすぶる。今後世界の勢力争い、勢力分布図は更に複雑なものになるであろう。その中での日本の「棹指し」はもっと難しくなるであろう。アメリカ追従・依存、一辺倒の姿勢は、いずれアメリカからも足元を見られ、世界からも見放されるようになるであろう。

私たちの「平和憲法」は、ある意味で、戦後のどさくさに与えられたもの(気が付いたら持っていたもの、しかも沢山の飴と条件付きで)、決して自分たちの手で勝ち取ったものではなかった。しかし、これからの新しい世界情勢の中、日本人の持つ平和主義は内外において、必ずチャレンジを受ける。その中で、それがたとい同じものでも、自分たちのものとしての平和論・主義・憲法を確立しなければ間に合わない。今、私たちは、平和ボケどころか、危機的な時代に立っていることを自覚しなければならない。最近「ベルリンの壁に打ち勝って」と言う本を再び手にした。1989年末のベルリンの壁の崩壊に至る東独の国民運動の様子が記されている。

また「ラトビア共和国独立100周年」を記念するTV特集番組で、ドイツ・ナチスとソ連による50年に亘る圧政的支配下から自由を勝ち取った同国民たちの姿を見た。どちらの運動も、暴力的圧政に対して一切の暴力的抗議を否定した。そこには、背後に敵に対する愛とそれが故の自らの命を含めた犠牲と勇気ある行動があった。即ち、それは、単なる精神的、理念的理想主義を超えるものだった。マハトマ・ガンジーが愛し、彼を非暴力主義へと導いた聖書の言葉がある。「悪いものに手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には、左の頬も向けなさい」。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。