中村哲氏偲んで
- 19年12月掲載記事 -

この記事は2019年12月にさくら新聞に掲載されたものです。

「クリスマス」が、キリスト教の開祖イエス・キリストの誕生を記念する日であることは、日本でも広く知られている。しかし、その「クリスマス」に先立つ4回の日曜日を含む期間を「アドベント(待降節)」と呼び、ご降誕の意味を噛み締めつつ「祝賀」の準備をする時節であることを知る人は多くない。アドベント中4本の蝋燭に、毎週一本づつ灯がともされる。それらの蝋燭は、クリスチャンたちが、イエス・キリストの来臨によって人類にもたらされると信じる「希望」「平和」「喜び」「愛」を象徴する。今年のアドベントは12月1日に始まった。すでに1本目の「希望」の蝋燭には灯がともされ、2本目の「平和」の蝋燭点火を前に、世界中で「平和」への祈りが捧げられていたとき、12月4日、皮肉にも、新たなテロのニュースと訃報が世界を駆け巡った。アフガニスタンで、同国の人道・復興支援のため30年にわたりその生涯を捧げた医師中村哲氏が、現地でテロリストの銃弾に倒れ、死亡したという知らせであった。

同氏は、第二次大戦終結間もない1946年福岡に生まれ、同地のミッション・スクールに通い、若き日にクリスチャンとして洗礼を受けられた。医大卒業後、国内の病院勤務を経て、1984年パキスタンのハンセン病院に赴任。89年からはアフガニスタンに活動拠点を移した。旱魃と共に40年の長きにわたる紛争の影響で、水の供給に代表されるインフラ設備が完全に破壊された同国に住む人々を、貧困、飢餓、病気、更には社会的性差別等の諸問題から救おうと、医師の分野を超えた果敢な救済活動を試みて来られた。彼を通して完成された飲料用井戸は約1600、灌漑用井戸13、地下水路再生38等々。

この間、中村氏は、神のために剣を抜いて戦おうとした弟子のペテロに「剣を元に納めなさい。剣を取るものは剣で滅びます」と言われたキリストに倣う者として、暴力・武力によっては、勝利も、平和もなく、ただ争いの連鎖を生むだけであると堅く信じていた。9・11の連続テロで、世界が「報復」に「正当」というライセンスを与えようしていたとき彼は言った。「砂漠の上に爆弾を落とすのはやめてもらいたい。そこには人々が生きているんだ」「テロリストを爆撃で殺せばいいんだっていう、この答えの出し方は最悪です」と。徹底した非戦論を貫いた。非戦、非武装、無抵抗での戦いは、時に、愚かで、幼稚で、無力そのものと感じられる。決して正義の名のもとに無謀に自らの命を捨てる事を勧めているのではない。第一私自身、自らにそんな勇気があるのかとたじろぐ。中村哲氏自身、同僚の伊藤和也氏の殺害事件以降、他の若手スタッフの帰国を奨めていたようである。もう死ぬのは自分だけで良いと言うかのように。

命は一つも無駄にされてはならない。今後、このような働きは、個人と個人を超えてのより広い協力関係の中で、ひいては国家レベルでの支援・保護・主導のもとに継続されていくべきであると信じる。しかし、忘れてならないことは、伊藤氏にしても、中村氏にしても、ミッション達成半ばでの不本意な死は、決して無駄な死ではないことである。キリスト教史上最悪の迫害者の一人パウロは、聖徒ステパノを始めとする大勢のキリスト者を迫害し、殺害した。しかし、その事実と経験が、後に彼をキリスト教史上最大の回心者・宣教者としたのである。「自分で復讐してはいけません。もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。・・・そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです」(聖書)。ステパノは自分を殺す者のためにその救いを祈った。中村氏もまた自らの宗教を超えてアフガン人を愛し、彼らのためにモスクやマドラサを建設。それが平和への道である。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。