アーミッシュから学ぶこと
- 2018年8月掲載記事 -

この記事は2018年8月にさくら新聞に掲載されたものです。

前回は、現代社会が世界的に抱える深刻な社会問題の一つ「孤独」について触れた。今回はその続きである。勿論、「孤独も悪いものではない」「私は、人混みの中より、むしろ孤独が好きである」と言う方がおられることも知っている。そのような方々のおっしゃることも理解できる。また、孤独がいけないと言っても、人との交わりの中で傷つけられた人が沢山いることも事実である。更には、人には、孤独になることも必要であり、「孤高」の人として孤独になれない人は、群れをリーダーとして導くこともできない。また、孤独には、セラピューティックな働きがあることも事実である。そんなことを考えている矢先に、先日、NHKで、「駅の子の闘い」(語り始めた戦争孤児)という番組を見た。親を空襲でなくしたり、戦中、戦後の混乱の中、様々な状況から親と離れ離れになって浮浪者となり、その多くが駅で暮らした戦争孤児たち。全国で12万人を超えたという。

「火垂るの墓」の冒頭の場面を思い起こす。多くの孤児たちが餓死した。生き残るために盗みや売春に手を染めた子供たちもいた。「汚い」と軽蔑され、優しい言葉をかけてくれる人もいない。親を失い、国からも、社会からも見捨てられた彼らの多くが、そのとき、否、一生涯、心に抱えたものは何であったか? 番組に登場した多くの証人たちの告白は「孤独」であった。寄り添う誰もいない孤独。自分の中にあるものを誰にも言えない孤独。その孤独に耐えられず自殺した子どもたちもいた。孤独が彼らの人生を歪め、狂わせた。今、私たちを囲む社会状況は、当時とは全く変わった。しかし、同じ孤独が今も人々を苦しめている。しかも、敗戦国の問題としてではなく、世界の問題として。飢えと貧困の中ではなく、富と繁栄の頂点で。

その解決を私たちはどこに求めるべきなのだろうか? コミュニケーション・トゥールとして開発されたSNSに代表されるハイ・テクの中にだろうか? 前回も触れたように、皮肉にもそのような解決が、かえって人々を孤独に追いやっている。そして、最近、筆者が訪ねたアーミッシュの群れの人々との出会いに解決のヒントを覚えたことを記した。その訪問まで、私は、彼らをアメリカン・インディアンや日本のアイヌ人のように「絶え行く」コミュニティーと見ていた。しかし、事実は正反対であった。彼らは、成長するコミュニティーであった。ここ数年で、ランカスター周辺のアーミッシュ人口は、2から3万台に、アーミッシュ・タウンの存在する州は、全米で20台から30台に成長したという。成長の秘密は、アーミッシュの家に生まれた子どもたちが、そのままアーミッシュとして残る率が90%を超えることだという。彼らの子どもたちは、決して「幼児洗礼」のようにして、その家族に生まれたからアーミッシュになるのではない。キリスト教界では「再浸礼派」として知られる彼らにとってこの点は重要である。子どもたちが、16~20才の間に、それぞれ自分で決断することが求められる。

なぜ、多くのアーミッシュの子供たちが、アーミッシュであることを選ぶのか? 一言で言うなら、それは、親との交わり、家族との交わりから生まれる。それが、彼らが信仰者として、アーミッシュとして、人生で一番強調している点である。彼らがなぜ近代テクノロジーを拒否し、外界との接触を警戒するのか? それは、それらが、彼らの家族間の交わりを、時間的にも、質的にも妨害し、破壊すると信じるからである。家族同士で、毎日、空間と時間と話題を共有しながら、目と目を合わせての人格的交わりの中に彼らは育つのである。言葉も話せない幼児の時代から、母親のスマートフォンを手にする現代社会に育つ子どものためにも、人格と人格の触れ合いのある家族の営みの回復を望みたい。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。