ビジョンをもって生きる
- 19年10月掲載記事 -

この記事は2019年10月にさくら新聞に掲載されたものです。

この原稿を書いている10月9日現在、毎日ニュースを賑わしているのが、日本の一般市民にとって何とも言えない憤懣・不安材料と言える関西電力の「金品受領問題」と「消費税引き上げ」関係の報道である。そんなどちらかと言うと「暗」の空気の中で、日本を明るくし、元気づけてくれている二つのことがある。一つは、今日本で開催されているラグビー・ワールド・カップでの日本代表の活躍である。ここまで見事に3連勝。決勝トーナメント進出まであと一歩。優勝も夢でない。日本でラグビーと言うなら釜石!かつての「新日鉄釜石」7連覇と言う大記録から日本ラグビーの「聖地」とまで言われる。

今回のワールドカップでも地方開催地の一つとなった。新生なった「復興スタジアム」で9月に行われた第一回目の試合フィジー対ウルグアイ戦には1万4千人を超える観衆を集めて大成功。しかし、同地での開催は、決して「聖地だから当然」と言うるような平坦な道ではなかった。言うまでもなく、それは同地があの未曽有の崩壊をもたらした東日本大震災の被災地の一つであったからである。特にスタジアムのある釜石市鵜住居町は、583名もの死者・行方不明者を出し、鵜住居川河口付近にあった小・中学校は全壊・浸水の被害を受けた。そのような状況の中で、同地へのワールド・カップ地方開催誘致の同意・賛成を同市・同町の住民から得ることは困難を極めた。多くの被災者たちが「こんな状態で何ができる。明日のことが心配なのに、2年後、5年後のことを考えられるわけがない。それよりも明日のメシ、明日の生活をくれ」と言って反対した。彼らにとって、開催は「違和感」以外の何物でもなかった。しかし、その彼らを変えたものは何であったか?

勿論、その頃徐々に見え始めた復興の兆しの助けもあったが、何としても牽引となったのは賛成者たちの説得であった。それは、この機会をむしろ復興に繋げようと言う積極的ビジョナリー思考であった。この開催が、全国・全世界に震災の事実と記憶を風化させないための「伝承」と「継続支援」、更には、被災地の町や市の具体的インフラ整備にも繋がる、そして何よりも「子どもたちの未来」に繋がると言うものであった。結果、町が団結。熱く燃えた。今を超えた未来志向のヴィジョンが町を動かしたのである。もう一つの明るいニュース、言うまでもなく吉野彰氏のノーベル化学賞の受賞である。彼も子どもたちへのメッセージとして「未来を読みながら研究を進める」と言う自身の未来志向をシェア―している。この朗報が入る直前、NHKで図らずも医学生理学で同賞を受賞した山中伸弥氏のインタビュー番組があった。その中で山中氏は自らの研究者としての成功の秘密を問われ、米国留学時代の指導教授から学んだ「VW」、即ちVisionとhard Workであると答えた。

日本人にとって、Hard Workingは当然。問題はヴィジョンである。研究そのものの行き詰まりに加えて、助成金獲得、名声、メディア受け、人事、個人的利得等の誘惑・試練の中にも、ブレないヴィジョンを持つことであると同氏は言う。ある訳ではヴィジョンを「長期的目標」とする。それは、子どもたち、子々孫々の時代を含めた「長期」である。しかし、多くの大人、実業家、政治家たちは、遠くを見ていない。彼らは「自国第一主義」で自分の国しか見ていないばかりか、時間的にも、今、次の選挙、自分の現役時代、自分の生きている時代しか見ていない。しかし、未来は、若者たち、子どもたち、孫たちのものである。グレタ・トゥーンベリさんの国連での演説をナイーブと片付けないで、子どもたち、若者たちと一緒に、未来を見つめ考える大人になりたい。「幻(ヴィジョン)無き民は滅びる」(聖書)。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。