孤独という社会問題
- 2019年6月掲載記事 -

この記事は2019年9月にさくら新聞に掲載されたものです。

2019年5月1日、希望に胸膨らませて新元号「令和」の名の下に新たな船出をした日本。まるで「祭り」のような「10日間の大ゴールデン・ウィーク」に酔いしれた。しかし、それから一ヶ月も経たない同月28日午前7時40分、その日本の中心部に近い川崎市から、祝賀気分を打ち砕く悲報が激震のように全国に走った。近くの名門私立小学校に通う子どもたちを登校時、無差別に狙った殺傷事件発生。被害者20名。内死亡者2名。小学6年生の女児と、別の子の登校の安全のためにと付き添って来た39才の若き父親。

TVのニュースは、事件以来一週間以上経っても、連日現場に花を手向ける人たちの列が絶えないと伝える。インタビューに答える多くの人々は「なぜ弱い、罪の無い子どもたちが、或いは真面目に、誠実に生きている人が、こんな目に遭わなければならないのか!」と、切なくやり場のない不憫・不条理を涙声で訴える。しかし、今回、特に多くの方々が口にされたことは、「とても他人ごととは思えない。このようなことが、明日、自分の身にも起こるかもしれない」と言う不安であった。その矢先、この事件に関連してもう一つの悲劇が起こった。家庭内暴力をする息子が、川崎事件と同様な行動をするかもしれないと言う不安から、政府の元高級官僚の経歴をもつ父親が息子を刺し殺してしまった。

このように悲しい事件が相次ぐ中、同様な悲劇の再発防止に向かって、今後、様々な努力が専門家を中心に懸命になされていくであろう。誰もが一朝一夕の解決などないことは知っている。むしろ、長く、且つ複雑に入り組んだ迷路のようなトンネルからの出口を求めた戦いである。しかし、その努力は、現代医学療法同様、ホーリスティック(全人的)で総合的なものでなければならない。今、私たちが抱えている多くの問題の特徴的深刻性は、問題が一つ一つ独立して複数散在すると言うより、それらいくつもの問題が複雑に互いに絡み合い、影響し合いながら混在していることである。それゆえ、個別的、対処療法的でなく、人間性のあらゆる分野からの総・統合的アプローチが必要である。今回の場合も、犯人(被疑者)の生活様態が、いわゆる「引き籠り」に少なからず似ていたため、その角度からの事件解明への模索がクローズアップされてきた。しかし、一言で「引き籠り」と言っても、その様態や性質、その原因は千差万別である。それをステレオ・タイプ的な見方で短絡的に追及することは反って危険である。

今回の場合も、「引き籠り」的問題以前に、そこには、まず犯人(被疑者)の両親が離婚したことにより、幼少期より叔父・叔母に育てられたと言う複雑な精神的成育環境、家庭問題があった(残念ながら、人生はいつもNHKの朝の連ドラ「なつぞら」のようには行かない)。更には、今回、なぜこの名門校の子どもたちを狙ったのか? 犯人(被疑者)の従弟が同校の生徒だったと聞く。安易に因果関係を結ぶべきではないが、そこには、彼が経験してきた個人的恨み・妬みの問題、社会的な経済格差、学歴偏重、それらが生み出す様々な個人的、社会的差別・圧力の問題が秘められているかもしれない。それらにも関連して、今一つ気になることは、彼の独身で51と言う年齢である。ステレオタイプに考えるべきではないが、そこに「孤独」の問題が少しチラつく。孤独は、今世界中の全年令・全階層的問題と言われる。英国には「孤独問題担当大臣」が設けられた。東北大震災の悲劇の中でも日本を元気づけたのは繋がり、コミュニティーの回復であった。コミュニティー造りとその活性化、それもまた国や専門家の助けを仰ぎながらも、多くの問題解決のために、私たちの手でできることではないか。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。