なにを残すのか
- 2018年4月掲載記事 -

この記事は2018年4月にさくら新聞に掲載されたものです。

もう先月のことになるが、丁度冬季パラリンピック開催中の3月11日、日本では、東日本大震災から満7年目の記念日を迎えていた。月日の流れの速さを今更のように感じる。そして、今年も早4月半ばを過ぎ、春の訪れを告げる桜の季節も終わった。しかし、毎年、こうして大震災の記念日、その直後に桜のシーズンを迎えるたびに復興支援のために作られた歌「花は咲く」の最後の部分が心に通う。「花は、花は、花は咲く。いつか生まれる君に。花は、花は、花は咲く。私は何を残しただろう」。

あの日、青天の霹靂のように、突然、最愛の人々が目の前から消え去り、粒々辛苦として積み上げ、築き上げた人生の大切なものが一瞬にして流れ去ったのである。日本中の人々の心が揺れた。その喪失感の中で、全国民が、感じ、考えた。人生とは何か? 人生で一番大切なものは何かと。そのような自らへの質問として、上述の詩は生まれたのではないかと筆者は思う。今、目の前にあるもの、手にしているものの祝福と有難さを感じつつも、同時に、その脆さ、儚さを改めて目の前の現実とし、人生を見つめ直すとき、人生の価値は、自分が、今何を持っているか以上に、次代に何を残すかで決まると、この詩は語っている気がする。私を育ててくれた亡き恩師はしばしば言った。「その牧師が良い牧師であったかどうかは、その牧師の在任中ではなく、その牧師が、その教会を去ったときに、どういう群れを残すかで決まる」と。

私たちは、その生涯を閉じる時、何を残すのだろうか? このことで、多くの人が最初に考えることは、物的財産であろう。しかし、過去の偉人たちは、必ずしもその応えに賛成しない。「児孫に美田を残さず」。「セゴドン」こと西郷隆盛の言葉である。米国で鉄鋼王として巨万の富を得たA.カーネギーは「子孫に財産を残すことほど愚かなことはない」「金持ちとして死ぬほど不名誉はない」と言って、生前に様々な慈善団体に財産を寄贈。天に帰るとき、物的な財産はほとんど残さなかった。それでは、私たちは何を残すのか? 次に多くの人が考えることは教育を残すこと。即ち、子どもに最高の教育の機会を与えることである。確かに教育は大切である。教育が、多くの人々の人生を変え、生活と社会の向上発展に大きく貢献してきたことは、言うまでもない事実である。

しかし、同時に、社会、更には世界に、広範、且つ多大な影響を及ぼす悪と不幸の根源は、しばしば高学歴を持つ優秀・有能な人物たちによることもまた事実である。教育は必要である。しかし、それだけでは十分でない。しかも、時にそれは、いわゆる公式・正式な学校教育を意味しない。前述のカーネギーはその貧しさゆえに、家族のために働き、学校に通うことさえできなかった。彼の知識はほとんど「個人図書館」の貸し出し書籍による独学であった。アップルの創立者スティーブ・ジョブズも大学中退であり、高校時代の成績もアベレージであったと言う。多くのご両親たちが、夫婦共働きで懸命に子どもの将来のためにと高い教育費を準備する。様々な支出を抑えてやり繰りし、子どもたちに教育を残すために辛苦する。それに反対しているのではない。

しかし、それがもし私たちが子どもたちに、また次世代に残すすべて、あるいは大半であるなら問題である。私たちが7年前、震災直後、悲しく痛ましい喪失経験の中から発見したもの。地震も、津波も、原発汚染も何ものも奪うことができない、人生で一番大切なもの。それは、人と人(神)とを結ぶ愛であり、心と心をつなぐ絆であると叫んだのではなかったのか?! 私たちは、今一体何を「いつか生まれて来る君に」残そうとしているのか?!

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。