「個と全体」の問題
- 2018年1月掲載記事 -

この記事は18年1月にさくら新聞に掲載されたものです。 

 2018年が始動した。「一年」が、季節的に言うと不活発になりがちな「冬」に始まることは興味深い。神様の御目から見るなら「冬」は自然界と同様、「活動としての一年」が本格的に始まる「春」への「準備」の時なのだろう。正に「一年の計は元旦にあり」であり、年の初めに大いに一年を展望し、備えるものでありたい。

 思えば2017年は「きな臭い」北朝鮮の挑発的行動が繰り返される不安のなか、米大統領による中東音大に関する突然の爆弾(?)宣言で幕を閉じた。2018年はどういう年になるのか。国際政治的には、まるで日本の戦国の世から徳川の時代へと流れた歴史を逆行するように、長きにわたって世界を支配してきた大国主導型から郡雄割拠的な時代へ移行しつつある。

 そのような情勢下、人々は行き先の見えない不安の海を浮遊しているかに思える。米国が最早「横綱相撲」を取れなくなり、それでもとにかく「勝たねば」と、「立ち合いの張り手」ならぬ「アメリカ・ファースト」を掲げてから一年となる。それは、これまで複数の国々と協力して進められてきたTPPなどのグローバル化の努力とは相反する一撃であった。英国のEU離脱も含めて、そこには、自己を他者・全体から遊離しても「自己優先」のポリシーを貫く姿勢がある。その是非を問うなか、そもそも、「国家」とは何か?またその集合体である「世界」とは何か、更には、それらの互いの関係はどうあるべきか等々について改めて考えさせられる。

 この問題は、究極的には「個と全体」の問題であり、ひいてはさらに身近なところで、「私と会社」「私と家族」と言うような、個人とその属するあらゆるエンティティ(Entity)との関係にまで発展する。これは、「全体主義対個人主義」として古くから議論されてきたことでもある。

 歴史的には、私たちが過去に、政治的、経済的に「全体主義」的思想をもって、そのリーダーたちに利用、翻弄されてきた事実がある。その反動も含めて、現代は「個人主義」の時代である。しかし、「全体主義が悪、個人主義が善」と言う単純構図では済まされない。個人は確かに大切である。しかし、同時に、全体はその個人の集合体で合って、決して何か非人格的なエンティティではない。さらには、人間は、一人で生きていけない存在であり、全体の繁栄無くして個人の繁栄もなく、個人の繁栄の極致は全体の繁栄である。

 聖書は、そのような「個と全体」のあるべき関係を教えるために人間の「体」を比喩として用いて言う。「それは、体の中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であって、一人一人は各器官なのです」と。そこには、個々別々の肢体ではあるが、一つの体としての有機的・生命的一致と言う大前提がある。

 それゆえ、体全体の健全は、個々の肢体が健全であることを抜きにしてはあり得ない。耳が痛めば体全体が痛むという具合である。同時に逆に一つの肢体と言う部分だけの幸せも存在しない。目がいかに美しくても、目だけでは幸せになることはできない。目が目として最大限の美しさ、機能的意義を発揮するのは、個としての目が、健全であると共に、健全な体全体の中の当てはまるべきところに当てはまる時である。  真の世界平和のためには、功利主義・実利主義・便宜主義に留まりがちな「条約」締結などの政治的努力を超えた、世界をこの「体と肢体」のような有機的・生命的一体の関係に導く「何か」が必要である。今年、私たちがその道を一歩でも前に進めることができるように祈りたい。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。