ハロウィーンとアイデンティティ / 17年10月掲載記事

この記事は2017年10月にさくら新聞に掲載されたものです。

秋の色が日増しに濃くなっていくこの頃、ふと気が付くと今年もハロウィーンが目睫になっていた。アメリカに長期に住む者たちだけでなく、ごく短期に住む方々も含めて、海外に住む日本人が、アメリカ生活の中でそれ自体に最もどっぷりと参加する行事・習慣は「ハロウィーン」であろう。確かにクリスマス、イースター、感謝祭も大きな行事であるが、日本人にとって、それらは自分が参加する行事と言うより、それらの行事のために与えられた「休暇」をどこかで楽しむ時である。他方ハロウィーンは、子どもを中心にみんなが仮装をしたり、近所の家々を一軒一軒訪ねてキャンディーを貰うなど、実際にその習慣に参加する行事としてユニークである。

しかも数十年前に日本を離れた小生には、当時想像もつかないことであったが、今やハロウィーンは、クリスマス、バレンタインなどと並んで、日本でもポピュラーなイベントになりつつある。渋谷のスクランブル交差点でのパーティーを始めとする「ハロウィーン・フィーバー」には、当然賛否の議論もある。しかし、そこにはいくつかの日本ならではの理由が挙げられる。一つは、「腐っても鯛ならぬ、ディズニー」と言う日本の社会的風潮の中で、ディズニー主催・主導のハロウィーン・イベントが、親と子の仮装熱を盛り上げている。二つ目は、新しい日本文化の広告塔にもなりつつあるアニメ、コスプレ文化が若者を始めとする日本社会に「仮装」に対する奇異感を減少させたばかりか、むしろ関心を高めた。更に、それらの社会現象にソーシャル・ネットワーク・システムが拍車を掛けた。加えて、国際化の流れの中で、英語教育推進の一環として、ハロウィーンなどのアメリカの生活習慣が紹介される機会も多くなった。日本人が、外国の風習・習慣を、その中身である意味や意義に頓着せずに、その形だけを取り入れる歴史は、今始まったことではない。それらは決して一概に否定されてはならない。否むしろ、日本文化形成の大切な要素と言うべきなのかもしれない。

しかし、ここで重要なことは、今後、益々国際化が進み、他国文化との交流が盛んになり、文化風習の混入・乱入に晒される中で、日本文化とは何なのか?日本人とは誰なのか?と言う日本人のセルフ・アイデンティティーを確立することである。英語を自由に話せることも、外国文化に精通し、豊富な体験を持つことも大切であるが、日本人として日本の伝統文化・歴史を知ることが「国際人」となる基礎である。この点について、藤原正彦氏も自著「国家の品格」の中で日本の文化と歴史を習得し、祖国に誇りを持っている人間こそ真の国際人であると力説する。折しも、2017年ノーベル文学賞に選ばれたカズオ・イシグロ氏は、受賞直後の報道インタビューで「改めて思ったのは私の書く物語が日本的感性に裏打ちされていること。『命のはかなさ』や『もののあはれ』といった言葉はいつも私の頭にあるのです」と語った。

その生涯の大半を海外で生きた日本人、国際人の言葉として嬉しく聞いた。私たちは今、益々国際化する世界の中で、文化の多様性に身を曝しつつも、皮相的大衆文化に翻弄されるのでも、人真似をするのでもなく、自分自身を確立することが求められている。人は一体どのようにして自分が何者であるかを知り、確立するのか? 自分の能力を磨くことによってか? 人と比べることによってか? 自分を見、人と比べて、不安と恐れに落ち込んでいた弟子のペテロにイエス様は言われた。「人と比べてはならない。ただあなたは私に従って来なさい」と。即ち、私たちのアイデンティティーとその確立は、「創造者」と言う原点への帰依から始まると聖書は言う。

「西郷牧師、世相を斬る!」は、米国ワシントンDC、及びテキサス州ヒューストンに在住する日系人のためのコミュニティ・ペーパー「さくら新聞」に、2017年5月から2020年3月まで、毎月1回「同題」で連載されたものです。当初5回の連載予定で原稿依頼を受けましたが、その後、数度の延長を経て35回目になったところで、折しも世界的蔓延の始まったコロナ禍中、「さくら新聞」が暫時無期限の休刊となり、その後、西郷牧師も本帰国となり、結果として連載ストップとなりました。このたび、周辺知人の希望・提案もあり、西郷牧師の社会への問いかけ「エッセイ」として、本ホーム・ページに週1回のペースで「再連載」することになりました。

さくら新聞 西郷牧師の世相を斬る
さくら新聞で連載された「西郷牧師の世相を斬る」の記事。コロナ禍における休刊までの35回にわたって連載されました。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。