成長の年に:少年サムエルから学ぶ
- 第一サムエル3章1-節 -

2017年01月08日 WIJC

聖書
第一サムエル3章1-節

序  論

  • どこかのテレビ番組でドラマの主人公が言った。「人間は愚かである。何度でも失敗をする。しかし、同時に、成長もする。昨日はできなかったことが、今日はできることもある」と。
  • 私たちは、今年の目標として、この人類に与えられた希望、「成長」について学び始めた。
  • その第一回目として、先週は、「イエス様の成長」を考えた。
  • ちょっと復習するが、皆様に一番忘れて欲しくないことは「イエス様が」成長すると言う事実である。
    1. 多くの人は、「イエス様が成長する」と言う概念を本当には理解していない。
    2. 彼らが、「イエス様は成長した」と聞くとき、ほとんどイメージとしては、肉体的な成長のいめーじしかない。
    3. しかし、イエス様が成長したとき、聖書は何と言っているか? 「イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり」と言っている。
      1. 聖書において「知恵」は「知識」とは区別されている。聖書は言う。「神を畏れることは知恵の初めである」と。知恵の成長とは、イエス様の内面の成長を意味していた。
      2. 即ちイエス様は、体と言う外面だけでなく、その内面である心も、信仰も徐々に成長されたのである。
    4. このことは、ヘブル5章7-9節からも明らかである。
      1. イエス様は、「完全に人間であった」が、「完全な人間」ではなかった。イエス様も、私たちと同様に。完全を目指して成長しなければならなかったのである。
      2. 言い換えるなら、イエス様は、幼いときから、初めから、完成された、成熟した人格を持つ、いわゆる「できた人」として生まれ、育ったのではなかったのである。
      3. むしろ、マリヤの子として、私たちと同様に、彼女から受け継いだDNAを持つ、人間としての足りなさや、性格的歪みから来る弱さ、強さを持っていたのである。
      4. だから、彼も成長する必要があったのである。そして、その成長は、私たちと同様に、苦しみと涙と祈りをもって実現したのである。
      5. だからこそ、イエス様は、彼を信じ、従がう者たちを救うことができるのである。
  • このイエス様の成長は、
    1. 神様中心、即ち、神さまを第一にする生活スタイルの中で実現した。
      1. イエス様は、神さまの臨在の象徴である、神殿にいること、教会にいることを愛した。それは、親たちが神殿からいなくなったことも気が付かないほどの熱心さであった。
      2. イエス様は、神様の教え、聖書のことをもっと知りたくて、聖書学者たちの教えに耳を傾け、一杯質問した。
    2. バランスの取れた成長であった。
      1. 心と体の両方においてバランスの取れた成長
      2. 神を愛することと、人を愛することの両方にバランスの取れた成長
    3. 謙虚で、地味で、地道な、長期の努力の積み重ねの結果としての成長であった。
      1. 興奮と活気に満ちたエルサレムを離れ、何の刺激も可能性もないナザレの村へ引っ込んだ
      2. 自分に対する理解の乏しい親の元で、その親に仕えた。
      3. しかも、それは、12才から30才に至るまでの18年間にも及んだ長い期間であった。
  • 今日は旧約聖書に登場する偉大な預言者サムエルの幼少期の姿から、この「成長」について学びたい。

本   論

  1. サムエルの「成長」についての聖書の記述を見たい。
    1. 第一サムエル2章21節「・・・少年サムエルは、主の御許で成長した・・・」
    2. 第一サムエル2章26節「・・・少年サムエルはますます成長し・・・」。
    3. 第一サムエル3章19節「サムエルは成長した」
  2. 成長の重要性:
    1. 何で聖書はここまで、サムエルの成長を強調しているのか?! 
      1. それは「成長」が重要であるからである。人間としても、クリスチャンとしてもである。
      2. サムエルと言う偉大な預言者が歴史に登場するためには、彼が生まれたと言う事実だけでは十分ではないと言うことである。彼は、成長しなければならなかった。
    2. これらのサムエルの成長について記す聖書の表現は、ルカ2章52節のイエス様の成長を記した聖書のことばを思い起こさせる。
      1. イエス様に関する聖書の記述の中で、非常に興味深いことは、福音書におけるイエス様の幼い日々、若い日々の詳細の記録が極めて少ないことである。
      2. イエス様の幼少・青年期の記録はこのルカ2章の後半の記事だけである。そして、その締めくくりがこの52節である。それは一言で言うなら「イエス様は成長した」である。
      3. 別の言葉で言うなら、人間イエスの若い日々をまとめる言葉、まとめる事実としては、「イエス様が成長された」と言うだけで十分であったと聖書は言うのである。
      4. 即ち、「成長」こそが、イエス様の人間性、イエス様が人間として生きたことを表す、証しする最も重要な事実であった。
    3. これらから言えることは、人間に一番求められることは「成長」であると言う事実である。
      1. 人間に託された神様からの最大の賜物の一つは「成長」の可能性と希望である。
      2. このことは、冒頭で述べたTVドラマの登場人物の言葉「人間は愚かである。何度でも失敗をする。しかし、同時に、成長もする。昨日はできなかったことが、今日はできることもある」にもよく表されている。
    4. 「成長」は人間に必須である。もし子どもが、肉体的にも、精神的にも「成長」しないなら、それは「どこかがおかしい」のではないかと考えるのが当然である。それは、人間にとって「成長」が当然のあるべき姿だからである。
    5. クリスチャン生涯も同じである。神様が、私たちに求めておられるのは、「成長」することである。しかし、ここで大切なことは、
      1. 人と比べてはならないことである。「あなたは、あなたとして」成長することである。
      2. 人と比べないで自分を評価して、そこから、更に成長することである。
      3. 私がプリンストンにいたとき、教会を始める前に約1年半ほど日本語学校の高校の教師をしていた。それは寺子屋式の1-3年までの合同クラスで、生徒たちは、一番大きかった時も12名と言う少数であったが、中味は、アメリカ生まれの子も、7才くらいでアメリカに来た子も、つい最近日本から来た子もいると言う具合に色々であった。そんな中で、私がいつも彼らに強調したことは、「人と比べないで、自分が自分として、成長していくことを目標とするように」であった。
    6. 成長の重要性について語る聖書の御言葉を一つ引用して、次のポイントに進みたいと思う。
      1. ヘブル6章1節前半「・・・・」。
      2. このお言葉とその前後の言葉をいずれ別の機会に味わいたいが、残念ながら、今日は時間がないので、成長の重要性を示す言葉としてだけご紹介するに留めたい。
  1. 第一に、サムエルが成長した環境は、彼にとって、人間的には寂しい、孤独な状況であった。
    1. 聖書:「・・・・」(第一サムエル1章24-25,28節)。
    2. 即ち、サムエルは、乳離れした直後、幼い日に、母親、家族の元から離れて、祭司エリ(エリ先生)の下に預けられたのである。
      1. それは、預けられたと言うより、日本式に言うなら、幼い日に、「お寺の小僧」になるように、お寺に、仏さまに、親元から離れて捧げられたのである。
      2. 乳離れしたばかりの子にとって、まだまだ母親の胸の温もり、家族の暖かさが必要であることは明らかである。
      3. それでも、エリ先生の家が、代替えになるような温かい家族なら、まだ良い。しかし、後にも触れるが、残念ながら、エリ家はそれとはほど遠い家族であったようである。
      4. 普通の子なら、親の有り余る愛情に包まれて成長することが望ましい。しかし、それがサムエルにはなかった。彼がどんな寂しい思いの中で成長したかは想像に難くない。
  2. 第二に、彼が成長した環境は、周囲に何の励ましや目標となるモデルや模範のない環境であった。
    1. 聖書:「・・・・」(第一サムエル2章12-17,22,3章1節)
    2. よく言われることであるが、幼い子供たちや、若い人たちが、健全に育って行くためには、「ロール・モデル」が必要であると。
    3. あるインターネットの定義によると:「ロールモデル」とは、「自分にとって、具体的な行動や考え方の模範となる人物のこと。人は誰でも無意識のうちに「あの人のようになりたい」というロールモデルを選び、その影響を受けながら成長するといわれます。」とある。
    4. しかし、サムエルにはこのようなモデルが皆無であり、逆に、悪い模範に囲まれていた。
      1. エリ先生:昔は素晴らしかったかもしれないが、でも今は、年を取り、気力を失い、すでに耄碌(もうろく)し、好々爺になり始めている人物であった。(2章22節ほか)
      2. エリの息子たち:彼らは、いわゆる「ワルたち」であった。彼らのしていた悪は、2章12—17節、22節に記されているが、以下のようである。
        • 献金、賽銭はごまかす、盗む、
        • いけにえとして捧げられた肉や食べ物は、勝手に途中で食べてしまう。
        • 主の宮に仕える女性スタッフと、性的関係をもつ、などなど。
  3. 第三に、彼が成長したときの環境は、国全体の霊的状況が低調、低迷しているときであった。
    1. 聖書「その頃主の言葉はまれにしかなく、幻も示されなかった」(Ⅰサムエル3章1節)
    2. 聖書の言葉を、神様からの言葉として、力強く、インパクトをもって、真剣に、熱心に語る人がほとんどいない。
    3. また、神さまの言葉を、渇いて求め、それを信じ、従がい、更には、それを生活の中で実行して行こうとする人々もほとんどいなかった。
    4. それゆえに、神様の御業と栄光が現れるということもほとんどないと言う状況であった。
    5. 主の宮に来る人々はそれなりに大勢いた。しかし、その霊的な状態は極めて低く、一体何を求めて宮に来ているのか分からない、霊的な香りがほとんどしない状況であった。
  4. これが、サムエルが「成長」した環境であった。
    1. それは、即ち:
      1. 幼くして親元から離れる、孤独で、愛情に欠ける環境
      2. 私淑する先生を始め周囲に、模範も、リーダーシップも乏しい環境。
      3. 祭司・先生の息子たちが率先して恥ずべき金銭的、性的罪を平気で犯している環境、
      4. それは、サムエルにとって先輩への失望であり、「自分も」と言う罪への誘惑であった。
    2. しかし、サムエルはAgainst All Oddsこれら悪条件の真っただ中でも成長したのである。
      1. それらの悪条件を、自分が成長しない理由や言い訳にしなかった。
      2. むしろ、それらを反面教師のように、また、バネのようにして、逆に成長したのである。
  1. 敬虔な親の存在
    1. サムエルの場合、それは、特に、母ハンナであった。勿論、それは父親としても果たせる。
    2. ハンナは、サムエルの母として有名である。その信仰と敬虔な姿勢のゆえに尊敬され、多くのクリスチャンの女性の名前としても用いられている。
    3. 彼女の生き方から学ぶ「敬虔」とは何か(詳しくは、彼女の生涯を中心テーマにしたメッセージで改めてゆっくりと学ばねばならないほど一杯あるが、ここでは主なものを簡略に学ぶ)。
      1. 第一に、彼女が妊娠できないことで、人々から辱めを受け、苦悩し、絶望の淵に立たされた時、彼女は誰に、何に助けを求めるにも勝って、主の宮で泣いて祈った敬虔である。
        • 敬虔の中心であり、基礎は、祈りである。故に、クリスチャンとは祈る人である。
        • あなたは、困ったとき、最初に、そして最終的に助けを求めるのは誰ですか?人間ですか?それ以外の何かですか?それとも神様ですか?
        • サムエルは、幼い時から母親に自分が祈りの答えとして生まれて来たことを何度も何度も聞かされてきた。祈り失くしては自分は無かったことを肝に銘じて知っていた。
        • 親が、また自分を含めた家族が、問題に直面するとき、親がそれをどのように乗り越えているかを見ながら、聞きながら、体験しながら成長する子どもは幸いである。
      2. 第二の敬虔は、神さまと約束したことは必ず果たす姿勢である。ハンナは、神さまにこの祈りが答えられた時、その子を神様に捧げると言う約束し、それを果たしたのである。
        • ハンナは、子どもが祈りの答えとして与えられたとき、その子を神さまに仕えるために捧げますと約束した。
        • しかし、ハンナは、実際にその子が与えられたとき、「神様、あれは、子どもが欲しかったので、ついつい言ったことで、こうして実際に与えられたら、やっぱり無理です」と言ってもおかしくなかった。事実多くの人が似たようなことをしている。
        • 詩篇15篇4節は、神の人は、自分の立場が不利になっても、約束したこと、誓ったことは変えないと言う。
        • この真実さが敬虔である。ハンナは、神様との約束を守った。自分がするより、もっと力強い、神様の最善の愛の御手を信じ、約束を果たしたのである。これが敬虔である。
        • このような神様に対する真実、誠実な親の姿勢を見て育つ子供は幸いである。
    4. 私たちは、子どもたちの成長のために、敬虔な親とならねばならない。また、信仰の先輩として、後輩たちの信仰の成長のために、敬虔な信仰者の歩みをしたい。
  2. 自らが敬虔な姿勢と生活を心がける
    1. サムエルの成長を記した聖書をもう一度みたい。
      1. 第一サムエル2章21節「・・・少年サムエルは、主の御許で成長した」
      2. 第一サムエル2章26節「・・少年サムエルはますます成長し、主にも人にも愛された」
      3. 第一サムエル3章19節「サムエルは成長した。主は彼と共におられ、・・・」
    2. これらの聖句には、サムエルの「成長」と言う事実が、サムエルが「主の御許」に生きていたこと、「主に愛され」て生きていたこと、「主が共におられ」たことと密接に関係していたというメッセージがそこに明らかに示されている。
    3. サムエルの成長は、彼が、神さまと近く生きる、神さまの前に生きる、神さまと共に生きる中に実現して行ったことである。即ち、神を畏れて生きる人生である。
    4. それは決して、単なる知識の蓄積や、体の訓練・鍛錬によるものではなかった。真の知恵と知識は、「神を畏れる」所から始まるからである。(箴言9:10と1:7)
    5. そのような神を畏れる人生は、具体的には、
      1. 今、目の前に与えられた現実を、それが何であろうとも、忠実に生きることであった。
        • それが3章1節前半に記されている。「少年サムエルはエリの前で主に仕えていた」。
        • エリは、今、年老いた人物として、祭司としても十分な役割を果たせず、個人生活においても、子育てに失敗した問題だらけの「先生」であり、ボスであった。
        • しかし、サムエルは、そのエリに仕えたのである。
        • しかも、それは、卑屈な思いからではなく、エリの背後におられる主に仕える思いをもってであった。
        • それが、後にパウロが言ったことに通じるのである。エペソ6章5-7節
        • 私たちも、毎日の仕事場で、家庭でそのようなスピリットを持って生きたい。
      2. 神に聴く人生である。「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(3:10)
        • 先週学んだイエス様も同じであった。学者たちに聴いたのである。(ルカ2:46)
        • 私たちは神様に語る:自分の願いと意志を押し付け、説明し、祝福してもらうために
        • もっと神の僕として、謙遜に神に聴くものとなりたい。それが神を畏れる人生である。

結   論

サムエルのように成長する者となりたい!!

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。