ご聖霊とクリスチャン #2
- 使徒の働き1:3~9 -
2024年6月9日 SRC
聖書
使徒の働き1:3~9
イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
序 論
- キリスト教の「祭典」と言えば、直ぐに浮かぶのが、クリスマス、イースターであるが、もう一つ、それらの結論ともいうべき重要な祝日、祭典がある。それが、「ペンテコステ」である。
- キリストは、クリスマスに生まれ、我らの罪の為に十字架に死に、三日目に復活し、昇天後10日目のペンテコステの日に助け主としてご聖霊を送った。
- キリスト教、特に、新約聖書神学において、「ペンテコステ」は二つのことを記念する日である。
- ひとつは、この日が、別名「聖霊降臨日」と言われるように、ご聖霊が広くすべてのクリスチャンたちの上に下った記念日であること。
- もうひとつは、この日に、「キリストの教会が誕生した」ことである。
- ここに先週も申し上げたように、「ペンテコステ」の重要性がある。即ち、
- ご聖霊の働き無くして、キリスト教会は存在しないこと、同時に、
- ご聖霊のお働きの究極的目的は、教会を建てることである。
- このことを念頭において、復習も含めて、更に使徒1:8を通して「ご聖霊とクリスチャン」の関係について味わいたい。
- 使徒1:8
本 論
先週の復習:
Ⅰ.「ご聖霊が『臨む』人生と生活の必要」である。
- クリスチャン人生の輝きはどこにあるか?それは:
- 神学の中にも、哲学の中にも、道徳的教えの中にも、儀式にも、ライフ・スタイルの中にもない。
- 聖書は言う。Ⅰコリント4:20「神の国はことばにはなく、力にあるのです」と。
即ち、それは、その実際生活の中にみる「力」にある。
- それ故イエスは言われる。8節「聖霊があなたがたの上に臨むとき力を受ける」と。
- 「臨む」とは、臨在、そこにいる、参加・参与することであるが、
- ご聖霊は、わたしたちの日毎の生活に臨まれ、参与して、私たちに「力」を与えられる。
Ⅱ.それはどんな「力」か?
- それは 聖霊が与える力。聖霊だけが与える力である。
- 8節「聖霊があなたがたの上に臨むとき力を受ける」。
このことについては、ルカ24章49節「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 - 即ち、それは人間的力ではなく、上より、神からの力である。
- クリスチャン人生は、自分の力、人間の力でするものではない。もしそうなら、神も、キリストの十字架もいらない。
- クリスチャン人生は、父なる神のお約束の下に、キリストの十字架と復活を通して与えられた聖霊のお働きが必要である。
- 8節「聖霊があなたがたの上に臨むとき力を受ける」。
- それは、「すべての人に与えられる聖霊」。人づつの2グループを比較する。
- ペンテコステ以前にも、ご聖霊が特定の(選ばれた)個人やグループに、一時的(短期的)に降り、力ある業がなされたことはあった。
- サムソン
- サウル
- イエス様の12弟子 マタイ10:1
- しかし、ペンテコステの日から与えられた聖霊は、一部の選ばれた人々にだけでなく、全ての人に、継続的に与えられたのである。
- 使徒2:17
●老若男女 ●信仰の長い・新しい ●社会的地位に関わらず - 以前の注ぎは、奇跡的業という目的遂行が特徴だったが、ペンテコステの御霊の注ぎは人格的・霊的な変革をもたらした。
- 使徒2:17
- ペンテコステ以前にも、ご聖霊が特定の(選ばれた)個人やグループに、一時的(短期的)に降り、力ある業がなされたことはあった。
- それは、また、「聖霊が・・・臨むとき、私(イエス・キリスト)の証人となる」力。
- 「イエス・キリストの証人」になるとはどういうことか?
- ヨハネ9章に出て来る盲人の癒しの例から考えたい。
- イエス様は、生まれながらの盲人を「安息日」に癒された。
- しかし、パリサイ人たちは、この奇跡的癒しを認めようとしなかった。なぜならその善行が「安息日」に行われたのは「律法違反」だと言う。
- それ故、この癒しは無効であり、神からのものであるはずがないという神学論争を持ち込んできた。
- その時、この癒された盲人は言った。
「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つの事だけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」(ヨハネ9:25)
- この癒された盲人の言葉こそが「証言」であり、この盲人こそが、イエス様が彼に何をしたか、イエス様が誰かの「証人」である。
- 彼がしたことは、神学論争でも、教義論争でも、説教でもなかった。
- 彼は、ただ、「キリストの証人」として、彼が体験した事実を証ししただけであった。それ以上でも、以下でもなかった。
- 「キリストが私に何をしてくださったか」を証しする「キリストの証人となる」。これが、神様がご聖霊を私たちに与えられた目的である。
- 多くの人が、「私には、『キリストの証人』となる資格も、力もない」と言う。しかし、ご聖霊がその資格も、その力も与えて下さる。
- その約束こそが使徒1:8である。
結 論
- 最後に、私たちは、どのようにして、聖霊を受け、聖霊に満たされるのか?について短くふれたい。
- イエス様はここで、「聖霊があなた方の上に・・・」と言われた。即ち、ギリシャ語でも、英語でも、「あなた方(you)」の前に、「upon」(の上に)という意味の前置詞がついている。When the HS comes upon you
- 同じことを言っているルカ24:49では、明確に「いと高き所から力を着せられる」と明瞭に記されている。
- 「上から注がれる」などのご聖霊に関する言葉は、三位の神様の絶対的ご支配と権威の象徴表現である。
- それ故、上よりのご聖霊を受けるとは、その絶対的権威の前にひれ伏すことである。
- 私たちは今、イエス様の十字架の愛に感謝して、絶対者なる神の前にひれ伏し、自分の持てるもの、自分の全生涯を、神のものとして全て捧げ、空っぽになって聖霊の満たしを祈りたい。
- その時、あなたも、力を受けて、エルサレムでも、ユダヤでも、サマリヤでも、地の果てでも、どこでも「キリストの証人」になれる。
投稿者プロフィール

- 元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。
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