喜びの三角関係
- ピリピ人への手紙1章1-7節 -

2022年11月6日 佐野レインボーチャペル

聖書
ピリピ人への手紙1章1-7節

序  論

  • 私たちは、先日、当教会創立16周年記念礼拝とピアノ献納式をもった。その折、「人生を変える真夜中の賛美」と題して、使徒の働き16章からメッセージを取り次がせて頂いた。
  • それは、使徒パウロとシラスの捕らえられていた牢獄の監守と彼の家族の救いの物語であった。そして、それは、その直前に記されているリディアと言う婦人と彼女の家族の救いと共に、ピリピ教会の出発、また礎となったのである。
  • このようにして建てられたピリピ教会宛に、それから、恐らく10年後、その教会の創設者であり、初代牧師であったパウロが書いた手紙が「ピリピ人への手紙」である。
  • パウロは、この手紙を、信仰のゆえに再び捕まえられ、囚人となったとき、ローマの牢獄の中から書いたのであった。
  • 驚くべきことは、獄中からであるにもかかわらず、この手紙の中には、英語で言うなら、Joy , Rejoice, Be Gladなどの、日本語で「喜び」「喜ぶ」と訳されている言葉が溢れている(それらの言葉が実に16回も出てくる)。
  • この手紙において、パウロは、なお成長の途上にあった、ピリピの教会が、今、何を警戒し、何にフォーカスし、更には、これからどのように成長し続けていくべきかを語っている。
  • 私たちは、今日から礼拝において、この手紙を少しづつ学びながら、私たちも、また、何に気をつけ、何に心を用い、どのように成長していくべきかを、自らそれぞれの人生と、このSRCの基礎造りと成長のために当てはめて行きたい。

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  • さて、さきほど、この手紙の特色は、「喜び」であると言ったが、「喜び」ほど、人々が求めているものはない。即ち、喜びは、自分自身にも欲しいが、他人にも持っていて欲しいものである。
  • 子どもにとって、学校から戻ったときに、そこに、いつも、不平と不満、そして不安に満ちて、暗く、沈んだ顔しているお母さんを見るのと、いつも感謝に溢れ、ニコニコして喜んでいるお母さんを見るのとどちらが良いかは、説明を要さない。
  • しかし、同時に、いつも喜んでいるほど難しいことはない。否、不可能であろう。
  • にもかかわらず、聖書は、「いつも喜んでいなさい」と私たちを励ますのである。
  • 私たちと同じ人間であり、信仰者であったパウロは、このことを「投獄生活」という極めて、不快な状況の中で実践するように挑戦されていた。
  • 私たちは、このピリピ人への手紙を通して、パウロが、そのような状況の中で、このように「喜び」のトーンに溢れた手紙を書けた、あるいは、書いた理由と秘訣を学ぼうとしている。
  • ピリピ人への手紙の最初の部分である1章1-11節に、「喜びの生涯の秘訣」としての二種類の「三角関係」を見ることができる。(しばしば、「三角関係」と言う言葉は、ネガティヴな関係に用いられるが、ここでは、私たちに喜びをもたらすポジティヴな「三角関係」ということになる。)
  • 今日は、まず、3-5節を中心に、「喜びをもたらす」最初の「三角関係」について学ぶ。

本  論

私たちに喜びをもたらすポジティヴな第一の三角関係とは、「喜び」「祈り」「感謝」の三角関係である。

3-5節を見ると、そこに「祈る」こと、「喜ぶ」こと、「感謝する」ことの三つが出てくる。

  1. そのことは、第一 テサロニケ5:16-18にも代表的に表されている。パウロは言う。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」。
  2. そして、ここにパウロが逆境の中でも喜びに溢れることができた秘訣を発見するのである。
  3. 即ち、喜びは、喜びだけで存在するのではない。喜びの人となるために、「祈ること」と「感謝する」という別の行為の実践が、秘訣として必要なのである。即ち、
    1. 喜びの人になろうとするなら、まず、よく「祈る」人になる必要がある。
    2. 喜びの人になろうとするなら、また、よく「感謝する」人になる必要がある。
    3. 即ち、より祈るときにより喜べるし、より感謝するとき、より喜べるのである。
  4. それゆえ、私たちには、喜びの人となるために、「祈る」ことと、「感謝」することが必要なのである。

ここで、まず、パウロと祈りについて考えたい。

  1. .勿論、パウロは、まず(他)人のために祈った人であった。
    1. 4節には、「あなたがたすべてのために祈るごとに」とある。
      1. 「あなたがたのために」:彼は、自分のためにだけでなく、(他)人のために祈った。
      2. 「すべての人のために」:彼は、彼を取り巻く、お気に入りの数人のために祈っただけでなく、気に入らない人、苦手な人も含めてすべての人のために祈った。
      3. 祈るごとに:彼は、気まぐれに祈ったのでなく、幾度も、定期的に祈った。
      4. このように祈る人の心には、他人のために祈る人だけが知っている喜びがある。
      5. このために、ある人は、「祈りのノート」をつけている。祈ったこととその日付を左の欄に、そして、答えられた様子と日付を右の欄に書いていくと言うように。
  2. 更に、19節を見ると、パウロは、他人のために祈るだけでなく、また、逆に、他人から祈られた人であったことが分かる。喜びの人であるためには、人に祈られることも大切である。
    1. 19節で、パウロは、「あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが、私の救いとなる」と言っている。
      1. 多くの聖書学者も認めているように、パウロが、ここで「救い」と言っているのは、「彼が、牢獄から出られるようになること」ではない。
      2. それは、彼が、そのような苦難の中でも、くじけず、最後まで、与えられた人生を、「喜び」をもって全とうすることであった。これが、彼にとっての「救い」であった。
      3. パウロは、そのためには、御霊の助けと共に、「あなたがたの祈り」が必要であると言っているのである。
      4. あの偉大な信仰者パウロにしても、御霊の助けと自分自身の個人的な祈りでは、十分では無いと言ったのである。即ち、他人から祈られる必要があったのである。
      5. ここにどうしても、私たちが互いに祈り合わなければならない理由があるのである。
    2. 私たちが、その生活の中で、人生の困難と苦難を、「喜び」をもって乗り越えていくことが出来るのは、私たちが、誰かに、否、多くの人に祈られているからである。
      1. 私たちのクリスチャンの友人、信仰の先輩たち、また牧師たちが、私たちが信仰に入り、ここまで信仰を保ち、成長するために、陰でどのくらい祈ってくれたことか。
      2. 更には、私たちが、しばしば、一度も会ったことがない、名前も知らない、他の国の人々、宣教地の人々のために、あるいは、宣教師たちのために祈る祈りに、神様は答えてくださり、彼らに、救いと勝利、喜びと祝福を与えられるように、私たちの知らない誰かが、どこか知らないところで、名前も知らない私たちのために祈っていてくれるからこそ、私たちは、今日も、「面白くない、辛い、苦しい状況」の中でも、喜べるのである。
  3. このようにパウロは、人のために祈り、また、人から祈られていたからこそ、いつも喜ぶことができたのである。

次に、喜びの人となるための三角関係のもう一つの要素「感謝」について考えたい。即ち、

  1. 言うまでもなく、パウロは、第一 テサロニケ5:18でも言っているように、すべてのこと、あらゆることを感謝したであろう。
  2. しかし、私たちは、パウロが、この部分で、殊更に感謝していることが何かを見たい。
    1. ピリピ1章5節を見ると、「・・・」とある。
    2. 即ち、パウロは、「ピリピ教会の人々が、彼と心を一つにして福音を伝えることに協力してくれたこと」が、特に嬉しかったのである。
    3. ここで「福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています」とあるが、「あずかる」と言う言葉の原語は「コイノニア」であり、意味は「交わり」「参与」「関与」である。
    4. 「交わり」と言うと、私たちは、直ぐに、お茶やお菓子を食べながら、あるいは、食事をしながら、世間話をしたり、お互いの生活のことや、関心のある話をして、楽しいときを過ごすというイメージが浮かぶ。
      1. 確かに、そのような交わりも、私たちが持つべき、大切な「交わり」の一つである。
      2. 現に、それは、使徒の働き2章46-47節に記されているように、初代教会においても大切な種類の交わりであった。
      3. しかし、今日、この「交わり」が時々、教会において、教会の信仰者の交わりというより、単に、仲良しグループ、気のあった人たちの集まりと変わりなくなってしまっているのではないか。
      4. うっかりすると、無責任な噂話しや、悪口まで飛び出すような交わりになっている。
    5. しかし、ここで、パウロは、クリスチャンには、そのような「交わり」とは違う、もっと深い「コイノニア、交わり」があることを述べている。
      1. 牢獄生活という苦境の中にあったパウロを力づけ、喜びへと導くには、単なるお茶の交わりや、食事とお話しの交わりの思い出では十分ではなかった。
      2. それでは、パウロを牢獄生活の中でも、「喜び」に溢れさせた、更に深い、クリスチャンの「交わり」とは何であったか? もう一度5節を見たい。「・・・・」
      3. 即ち、ここで、パウロが言う「交わり」とは、ピリピの教会の人々が、パウロと「一緒に協力参加して、福音を広めるために共に働いた」ことであった。
      4. パウロは、更に7節においても、ピリピ教会の交わり、コイノニア、与ること、参与してきた事実を強調し、感謝している。「・・・・」
        • 即ち、ピリピの人々が、苦境に立っていたパウロに同情し、その心境を察し、彼のそばに立って、彼に寄り添い、支え励ましたことであった。
        • パウロは、今更のように、そのような交わりこそが、お茶の交わりを超えて彼を支えたことを思い出し、感謝を捧げている。
        • そして、この感謝こそが、パウロを苦境の中でも、「喜び」の人としたのである。
    6. 私自身、このような「共に働いて、苦労を共にする交わり」の甘美な深さを、私と父親との間に起こった出来事を通して、しみじみと味わった。
      1. 私たち家族がアメリカに来て、1年ほど経ったときのこと。父親が事業に失敗し、大きな負債を抱えた。どうにもならない、底なし沼のような借金地獄状態の中で、父の友人が私に連絡をくれ、何もできないながらも私が急遽帰国することとなった。そのとき、「無力」ながら、父と一緒に一軒一軒、債権者のところを訪ねた。それは、私にとっても、父にとっても辛い、苦しい、人間的には、実に惨めな経験であった。
      2. しかし、そのような中ではあったが、私は、そのように、父と共に一軒一軒、頭を下げながら債権者を廻りながら、
        • 「父を支えている、助けている、父の苦労・苦境にあずかり、共に分かち合っている」と言う実感があった。
        • そのときが初めてのようであったが、父を近くに感じた。
        • 「親子として支えあって生きている」という何ともいえない喜び、満足、幸福を感じた。
        • それは、父親に何かを買ってもらった、何かをしてもらった、一緒に話した、一緒に遊んでもらったときの交わりより、もっと深い喜びであった。
    7. パウロは、このような深い交わりを神様と人とに対して持っていた。彼はそれを感謝し、それがゆえに、牢獄の苦境の中でも「喜び」に溢れたのである。

結  論

メッセージを締め括るにあたり、パウロの「感謝する姿勢」について2点短く触れたい。

  1. .第一に、パウロの感謝は「過去」を振り返るところから始まった。
    1. 5節をもう一度みたい。「・・・・」
    2. パウロは、そこで、まず、ピリピの教会の「過去」をもう一度振り返っている。「最初の日から今日にいたるまで」と。初めから今に至るまでの、全歴史、過去の全部を振り返っている。
    3. 感謝は、過去を振り返ることから始まる。
    4. だから、聖書は過去の恵みを数えることの大切さを教えている。:
      • 詩篇103:2「主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな」
      • 詩篇42:4「・・・・」
      • 讃美歌「数えてみよ、主の恵み(Count your blessings Name them one by one)」
  2. もう一つのことは、パウロの感謝は、その謙った心から生まれたことである。
    1. パウロは言った。「最初の日から今日まで」と。
    2. 即ち、彼は、ピリピの教会の成功、祝福、発展は、全部、初めから今に至るまで、一重に、ピリピの教会の人々の労と努力であると言っているのである。
    3. 言い換えるなら、ピリピの教会のメンバーが、「あるときは」頑張ったとか、「初めのうちは」頑張ったとか、「やっと最近は」頑張るようになったとかでなく、「初めから今日にいたるまで」全部、彼らが頑張ったと強調したのである。中々言えない言葉である。
    4. パウロは、一切の功績、Creditを自分に受け取ろうとしなかった。そして、謙って、「みんなあなた方が頑張ったからです」「あなた方と一緒に、同労者として、主のために働き苦労を共にするという『交わり』にあずかれたことを感謝します」と言ったのである。
    5. このような謙った姿勢こそが、彼に感謝の心、ひいては、苦難の中での喜びを与えた。
  • 今日は「喜び」の人生のための「三角関係」として「喜び」「祈り」「感謝」について学んだ。
  • 喜びの人となるために、愈々「祈り」「祈られる」人になりたい。

    また、
  • すべてのことを「感謝する」人、特に、共に主のために苦楽を共にし、「協働」という交わりを感謝し、喜びに満ちた教会になりたい。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。