クリスマス:喜びの知らせ
- ルカの福音書2章8-14節 -

2022年12月25日 佐野レインボーチャペル

聖書
ルカの福音書2章8-14節

序  論

  • 今日は12月25日。イエス・キリストの誕生を記念するクリスマス当日である。欧米のキリスト教の暦では、クリスマスは、今日で終わらず、来年1月6日「顕現節」と呼ばれる日まで続く。
  • 毎年、クリスマスのお祝いは、クリスマス前4回の日曜日を含むアドベントと呼ばれる期間で始まる。
  • 多くの教会では、この間、4本のアドベント・キャンドルと呼ばれるロウソクに毎週1本づつ灯を灯す習慣がある。
  • これら4本のロウソクは、メシヤとして生まれたイエス様が、私たちに与えてくださる4つの祝福:平和、希望、愛、喜びをそれぞれ象徴している。
  • 今日は、クリスマスのメッセージとして、その内の一つ「喜び」についてご一緒に短く考えたい。

本   論

  1. 即ち、「・・・・」(ルカ2:10)。
  2. 「喜び」、これが、クリスマス・メッセージである。イエス様は、私たちに「喜び」を与えるために来られたお方。即ち、クリスマスは、喜びの知らせの日である。
    1. 世界中のすべての人は、老若男女を問わず、人生で喜びを求めている。
      ビリー・グラハムは言う。「人は生まれ落ちたその時から、喜びを求める旅に出る」と。
    2. 人は喜んでいるときに一番輝く。美しく、生き生きとする。本来の自分を一番発揮できる。
      私たちは、皆、一週間前にその事実を見た。世界中の人々は、FIFAの最終決定戦で、前代未聞の激闘の末獲得した勝利に、興奮して「大喜びする」アルゼンチンの人々の表情にハッキリとそれを見た。彼らは叫んだ。「オレたちは、世界一の幸せ者だ」と。皆、輝いていた。
    3. 喜びは幸せの証しであり、原動力である。だからこそ、イエス様は、「喜び」を私たちに下さるのである。
    4. しかし、それは、この世が与える喜びとは違う。この世が与える喜びは:
      1. 長続きしない。ヨハネ4:13-14
      2. 下品である/人を傷つける
      3. 不十分である(もう一つ物足りない) イザヤ55:2
  1. 第一は、罪が赦される喜びである。これは、人生のファーストベース的喜びである。
    1. この喜びを経験した典型的人物はダビデ王であった。
    2. 彼は、王として、人生の成功者として、地位も、名誉も、金も、快楽も、すべてこの世の与える喜びを欲しいままにしていた。しかし、それらは、決して彼を満足させることはできなかった。
    3. そして、悪魔の誘惑に負け、彼は秘かに姦淫と殺人の罪を犯した。それ以来、彼は良心の呵責の故に、何をしても手放しで喜ぶことができなくなった。彼は言う。詩篇32:3-4
    4. しかし、その彼が、イエス様のところに行ったとき、罪の赦しを経験し、最高の幸せ、何物にも勝る喜びを得たのである。詩篇32:5,1-2
    5. なぜ、イエス様は、私たちの罪を赦すことができるのか? それは、イエス様が私たちの犯した罪の呪いを身代わりに受けて十字架に掛かってくださったからである。
    6. クリスマスとはこのためにイエスさまが人としてこの世に来られたことを記念する日である。
  2. 第二は、人を愛する喜びである。
    1. 「・・・」(ローマ12:15)とパウロは言う。これこそが、人々が互いに愛し合う姿である。
    2. 特に大切なのは、前半の「喜ぶ者と共に喜ぶ」ことである。
    3. この喜びを知らないと世界は狭くなる。いつもビクビクした生き方となる。
    4. 身近な友人、同僚、親戚の成功と繁栄、幸せを、妬むのではなく、まるで自分のことのように共に喜ぶことは、何と素晴らしいことか。これこそが、自由であり、天国である。
    5. しかし、現実は、その逆に、「隣の家に蔵が建つと、私のうちに腹が立つ」である。これが妬みである。聖書は「妬みは骨の鎖である」と言い、私たちからこの喜びを奪うのである。
    6. しかし、感謝したい。パウロが言うように、クリスマスに生まれた救い主は、私たちに隣人愛を与え、妬みから救い、この喜びをくださるのである。
    7. 「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と仰るイエス様は、聖霊によって、私たちにその愛を与え、愛する喜びを与えてくださる。ローマ5:5
  3. 第三は、如何なる状況の中でも喜ぶ喜びである。
    1. パウロは言う。「いつも喜んでいなさい」(第一 テサロニケ5:16)と。
    2. 「いつも」とは、良い時も、悪い時もの意味である。しかし、良い時に喜ぶのは当たり前。
    3. それゆえ、ここでポイントは、人間的には、とても喜べるような状況でない時でも喜ぶ喜びの大切さである。
    4. 勿論、この喜びは、いわゆる「お笑い」とは違う。それは、人生における、涙、苦しみ、如何なる逆境においても、盤石で、不動、不変の力を私たちに与える喜びである。
    5. イエス様は、正にこの喜びをもっておられた。イエス様は、人生の最大のピンチと言える、十字架の処刑の前夜、弟子たちに言われた。「・・・・」(ヨハネ15:11)。
    6. この喜びを持っている人は強い。最強である。
    7. 私たちが、この喜びを持ちたいなら、このお方を受け入れ、共に生きることである。その典型的例が使徒パウロである。いくつもの迫害・苦難・苦境にモミクチャにされるような人生を通り抜け、乗り越えながら、なお勝利の声を挙げたパウロは言う。
    8. ローマ8:37-39

結   論

  • これが、クリスマスの意味である。
  • それは、喜びの知らせ、喜びの日である。
  • イエス様は、このために生まれ、このために死なれたのである。
  • このイエス様を私たちの心と人生にお迎えしたい。

投稿者プロフィール

西郷純一牧師
西郷純一牧師
元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。