ご聖霊とクリスチャン
- 使徒の働き 1章1~11節 -
2024年6月2日 SRC日曜礼拝
聖書
使徒の働き 1章1~11節
テオフィロ様。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。
それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。
イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
序 論
- 今日は、キリスト教の暦で言うと、「ペンテコステ」と言う特別な祝日から2週間目の日曜日となる。
- これは、復活祭からちょうど50日目にあたる。
- 詳しい説明は省略するが、この日が持っている意味・意義は二つである。
- ひとつは、この日が、別名「聖霊降臨日」と言われるように、ご聖霊が広くクリスチャンたちの上に下った記念日であること。
- もうひとつは、この日に、「キリストの教会が誕生した」ことである。
- ここに、今日のテーマの重要性がある。即ち、
- ご聖霊の働き無くして、キリスト教会は存在しないこと、同時に、
- ご聖霊のお働きの究極的目的は、教会を建てることである。
- このことを念頭において、今日のメインテキスト使徒1:8を味わいたい。
- このイエス様の言葉は、復活後、イエス様が天に戻られる前に弟子たちに残された最後のお別れの言葉・辞世の句であった。
本 論
イエス様が、ここで言われている最初のことは:
Ⅰ.私たちの人生と生活における「ご聖霊の必要」である。
- 8節「聖霊があなたがたの上に臨むとき」。
- クリスチャン人生とは、さながら儒教の祖、孔子の弟子のように、イエス様が教え、歩んだその足跡を辿って生きることではない。
- もしそうだったら、当の昔に、私たちは絶望の谷底に落ちている。
- 現に12弟子たちは、それで失敗をしたのである。イエス様が十字架にかかる肝心な時に、イエス様を置き去りにして逃げたのである。
- それ故、イエス様は、十字架と復活の後、弟子たちを霊的に次の段階へと導かれたのである。それがペンテコステである。
- それは、父なる神の約束されたご聖霊に満たされる生活と人生である。 使徒1:4-5。
- イエス様は8節の「聖霊があなたがたの上に臨むとき」で、クリスチャン人生においてご聖霊が危機的・平常時を問わず、いつも私たちの生活と人生に「臨んでいる」(参与・臨席)ことが必要だと言われる。
- なぜ、イエス様はその時、ご聖霊の必要が訴えられたのか?
- イエス様のご昇天までは、見える形で、イエス様が共におられた。だから安心・満足・十分であった。
- しかし、これからは違う。イエス様は目に見える形ではいなくなる。
- そもそも、ご聖霊とは、どんな方なのか?
- ご聖霊は、三位一体の神様のお一人である。
- イエス様は、特に最後の晩餐の席で、ご聖霊のことについてねんごろに弟子たちに語られた。
- その中で、主なものを以下に拾いたい。ヨハネ14:16,18,16:7,14,16が挙げられる。
- これらの要点をまとめると、
- イエスさまの昇天後、神様は「別の助け主」として、三位の神のお一人、ご聖霊を送られる。
- このご聖霊は、イエス様と同じことをなさる。即ち、イエス様が戻ってこられたのと全く同じと考えてよい。
- イエス様と同じ愛、同じ教え、同じ力、同じ知識・理解、等
- 言い換えると、聖霊に満たされるとは、イエス様に満たされることであり、イエス様とともに歩み生きることである。
Ⅱ.次に、イエス様は、ご聖霊が必要な理由は、「私たちに力を与える」からと言われた。
- 8節
- 「力」を持つことは、魅力的なことである。
- 肉体的な力から始まり、学力、経済力、話力、指導力、政治力、などなど。
- しかし、この力への希求が社会に醜い争い、果ては戦争と言う不幸と悲劇を生みだしている。
- 宗教界で言うなら、Ⅰコリント13章冒頭のように、人々は、預言(説教)の力、異言の力、信仰の力などに憧れ、魅了される。
- しかし、これも又しばしば伝道者たちの霊的失敗・堕落に終わる。
- 聖書にも、モーセの時代のエジプトの魔術師たち、パウロの時代の小アジア地方の呪術師たちによる癒しや奇跡の業が記されている。
- 弟子たちもまたかつて、ペンテコステの遥か前にも、奇跡と不思議を行った。マタイ10:1、ルカ9:1。
- 肉体的な力から始まり、学力、経済力、話力、指導力、政治力、などなど。
- しかし、イエス様は、ここで、それらとは違う力について語っておられる。
- それは、「キリストの証人となる力」(使徒1:8)である。
- 「キリストの証人となる」とは何か? それは、私たちを見て人々がイエス様とその救いのすばらしさを知るようになることである(ヨハネ13:35)。
- パウロもコリント第一の手紙12章の終わりで、教会内にあった色々な賜物の力に勝って人格的な力の頂点として愛を挙げた。愛の力こそが聖霊しか与えることのできない力である。別言すれば愛の力。
- 愛とは何かについてパウロはこのように紹介している。(第一コリント13:4~7)
結 論
- 最後に、私たちは、どのようにして、聖霊を受け、聖霊に満たされるのか?について短くふれたい。
- イエス様はここで、「聖霊があなた方の上に・・・」と言われた。ギリシャ語でも、英語でも、「あなた方(you)」の前に、「upon」(の上に)という前置詞がついている。
- そこには、力が上、天から来ることが示唆されている。
- 同じことを言っているルカ24:49では、明確に「いと高き所から力を着せられる」と記されている。
- これは、天におられる神様のご支配に、また権威の前にひれ伏すことを意味する。その時、神の愛が権威として私たちの心に注がれるのである。
- 今、十字架の愛に感謝して、神の前にひれ伏し、自分の持てるもの、自分の全生涯を、神のものとして全部捧げ、空っぽになって聖霊の満たしを祈りましょう。
投稿者プロフィール

- 元ワシントン・インターナショナル日本語教会牧師。ジャパニーズ・クリスチャン・センター・オブ・ワシントン責任者。日本で聖宣神学院卒業後、日本宣教会・久我山宣教会副牧師、1980年ビリーグラハム東京大会事務局主事、1982年日本伝道会議事務局主事を経て渡米。アズベリー大学(聖書学専攻、同言語学副専攻)卒業後、アズベリー神学校牧会神学修士、プリンストン神学校旧約神学修士を取得、ドルー大学旧約学PhD課程コース・ワーク終了。米国で、プリンストン日本語教会、ニューヨーク日本語教会、および現教会を開設、現在に至る。
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